七度目の春 序文

前回の散文に序文を書いてみました。




七度目の春 序文


311から七年もの月日が経過したのですね。
何度も繰り返して思いを伝えてきた内容と重複しますが、下手糞ながらにも新たに散文を書いたので紹介いたします。



正直に言えば、僕の伝えようとして来たメッセージというのは、社会的な流れに対しては焼け石に水だったような気がしています。
日本人の被曝の現状というのは、今どうなっているのでしょうか。
誰も本当のことを口にはしません。
暗黙の内に僕達日本人は、経済第一優先主義を選択して来たように思うのです。
311以降のこの七年間、その流れを食い止めることは誰にも出来ませんでした。
僕は今でも、そんな日本社会全体のあり方というものは間違っていたと思っています。
SNSでこのような内容の話をすると、多くの方がスルーの方向で流れて行ってしまいます。
皆心の底では共感する部分もあるのかもしれないけれど、社会的な場で自分の意思を示すことにとても強い恐れを持っているのです。
日本独特の村社会的な流れが、深く根付いていて関わっています。
簡単にいえば、仲間外れが怖いということでしょう。

今この時代に、正義や真実等というものは笑い草のような話になってしまっています。
やったもの勝ちの生存競争をいかに生き延びるかということばかりが優先されています。
だけど僕は、最後まで諦めたくありません。
表現者としての人生を選んだ自らの生き方に、絶望したくはないからです。
表現者としての人生とは、作品という虚構を通じて、世の中に真実を伝えるということだろうと思います。
それが表現者として課せられた義務であると信じています。
この日本を愛しているから。



本当の人の暮らしの幸せとは、一体どんなものだというのでしょう。
不安を不安だと口に出来て、怖いものは怖いと伝えることが出来て。
本音を語り合えて、寄り添い合うことが出来るような社会を僕は望みます。
だけど今のこの日本社会というものは、それとは真逆の世界になっています。
皆表情には笑顔を浮かべている人がとても多い気がしますが、笑いが何だか軽い気がしてなりません。
それはそれで平和だということに間違いはないのでしょうが。


大本営発表を鵜呑みにしてしまわないで、自ら情報収集をして、自分で考えて行動をし続けなければならないように思います。
大変な時代ですが、だからこそ魂の底に刻み込む教訓の意味も、とても大きなものになるに違いありません。


日本は必ず復活します。
そう信じて、土砂降りの雨の日もステップ!
未来へと希望の虹が架かるのを待つのなら、雨の日はつきものでしょう。
頑張りましょう。