THANK YOU VERY MUCH
年が明けて、もう既に半月が経過しようとしていた。
時間の流れの早さを思うのはいつもことである。
元旦の日の出の時刻に生まれた僕は、四十四歳のバースデーを迎えていた。
余り詳しくないのだけれど、五黄の寅という珍しい年に生まれたそうだ。
しかも、寅の日の寅の刻という寅づくめだった。
昨年末。
僕の敬愛しているジョン・レノンの命日に、久しぶりとなるライブを何とか成功させることが出来ていた。
今年はなるべくライブをやりたいなと思っていた。
直接人前に立ち、歌を届けること。
ミュージシャンという生き物は、何処となく社会に認めてもらえるようになるまでは物乞いに近い場所に立たされているような肌感覚を感じつつ長年活動を続けて来た。
それは、ある種仕方のなかったことだと思う。
自分の作る楽曲、そして出す音の力だけで他者と繋がり、深くシンパシーを感じてもらったり、また生き方にさえ影響を与えてしまうようなこと。
実力が付くまでは、たとえ才能があったとしても誰の目にも留まらない。
たぶんそういうものなのだろうと思う。
物乞い的な立場に佇む所からの出発。
それは、本気でミュージシャンとしての人生を極めようとしているのであればある程に、必ず直面せざるを得ない問題であった気がする。
自分がただ気持ちよく満足出来る為に音楽をすることと、やっぱりここに一線はどうしてもあったと思う。
音楽で何か言いたいことがあるのだとしたら。
僕の人生。
それは、何もかもを音楽の為に全て投じた生き方だった。
その志の為にとても生き辛くて、だけど幸せだった。
不器用者の僕には、これが精一杯の音楽に対する誠意といったつもりでいたのかもしれない。
音楽に対して、いつまでも変わらぬ情熱を持ち続けること。
音楽は僕にとって神だった。
僕は神の傍を離れたくなかった。
神が僕を捨てることは決してない。
あるとすれば、僕が神を裏切り離れることだっただろう。
音楽だけは捨てられない。
僕が必死に守り抜いて来た、本物のかけがえなき人生のプレゼントよ。
今、我が四十四年の人生を想う。
まだまだひよっこで、路上に出れば物乞いに近い場所で必死に音楽を奏でているだけの人間だ。
純情と馬鹿とは紙一重の違いでしかないのかもしれない。
だけど、社会の底辺に立ってみなくては本当の音楽なんて聴こえて来る筈はなかった。
この世の悲しみを包み癒す神の声など。
僕は、それで十分に幸せだった。
嘘でも強がりでもなく、ただ音楽が死ぬ程に愛しかったのだ。
理由はそれだけだったように思う。
音楽は革命すらも起こす力を秘めている。
僕は信じてる。
神はまだ僕と共にいる。
いや。
僕はまだ神を見失わないでいられた。
たぶん、そうだ。
音楽よ。
我が人生と共にいてくれて本当にありがとう。
昨年のクリスマスには思わぬプレゼントがあった。
大人になると、クリスマスにプレゼントをもらうこともそんなになくなっていた。
一つは、地元のプロ野球チームである広島カープの松山選手のサインボールだった。
クリスマスプレゼントといっても、このサインボールについてはもらった時期がそうだったから勝手にそういうことにしておいたという話だったのだけれど。
僕も広島県人じゃけん、一応カープ愛が体に流れているみたいだった。
それに、何といっても今のカープ自体に凄く人を魅了する力があったように思う。
チームが本当に素晴らしい。
大好きだった。
僕の身近にカープの選手や関係者との交流がある子がいて、その関係からのプレゼントとなっていた。
しかも、偶然にも松山選手の背番号は四十四番!
僕が年明けと同時に迎えた四十四歳と数字がお揃いだった。
僕の少年時代の夢は、よくある話だけれどプロ野球選手になることだった。
かなり真剣に思い込んでやっていて、野球を心底愛していた。
やがて音楽に出会い、夢の形はうつろって行ったけれど。
だけど、やっぱり野球のドラマは最高だなって今もそう思う。
感動は人の心を捉え動かす。
リアルに街を活気付けるエネルギー源だろう。
音楽から何か感動が冷めてしまったような時代。
カープにはたぶん何処かに純情が残っていたのかもしれない。
黒田選手の生き様に代表されているような気がする。
熱い想い。
志の根が何処かにあるから、それが野球のドラマとして再現され、ファンの心を捉えて離さなかったのだろう。
そういったのもは本当に魅力的だった。
ただ仕事としてやっていることでもなくて、人として何処か普遍的な生きる姿があるかどうか。
日本社会全体が失っていた魅力だと思った。
松山選手。
ありがとう!
そして、もう一つのプレゼントについて。
これは僕のファンだと言ってくれる女の子からの贈り物だった。
昔懐かしいウルトラセブンのストラップだ。
菅原君には、社会に今ある強さとは別の強さで世の中を変えて行って欲しいといったような思いと共に手渡してくれていたことを思い出す。
何とも有り難くて幸せな贈り物をもらった。
ずっと大切にしたいと思う。
その気持ちを裏切らないように頑張りたい。
本当にありがとう!
二〇一八年。
今年は日本を立て直す一年目になって欲しいと個人的に強くそう思っていた。
タイミング的にいって、今が最適だという気がしていた。
日本、頑張れ!
僕らの心の愛よ、どうか悲しみに負けてしまわないで。
2017 良いお年を
二〇一七年も今日の大晦日一日を残すのみとなりました。
時間の流れが本当に早いですね。
いつもこのブログに訪問して下さっている皆様には、今年も本当に有難うございました。
来年が皆様にとって素晴らしい一年となりますように、心より御祈り申し上げます。
僕はミュージシャンとしての活動を、今大きく方向転換させたいという思いで日々を過ごしています。
散文に思いを託し、振り返れば随分多くの言葉を書き残して来ました。
本を出版したこともありました。
自分の社会的なスタンスには余り変わりはなく、基本的なビジョンは今も胸の奥深くの情熱の炎と共に存在しているように思っています。
もう日本は変わらなくてはなりません。
時代はきっと大きく動いてゆく気がしてなりません。
初めは少しずつであったにしても、ポジティブな方向へと社会全体が舵を切るような場面が生まれて来なくては、もう希望へと繋がるものが何もない気がしていました。
そのような動きを生み出せるように、個々人が意識を高く持ち行動を起こさなくてはなりません。
僕のことでいえば、ステージに立ち歌うことです。
皆様にとってはどうでしょうか。
自分には大したことは出来ないという思い癖は意識して止めてゆくべきでしょう。
思い込みによって自分自身の可能性を狭めてしまいます。
人生それでは余りにも勿体ないですし、何よりも自分に失礼になります。
今の日本人は元気になりたいという願望を強く持っている気がしていました。
歌を歌って来て、聴いて下さる皆様の反応からそう感じて来たような気がします。
だから、その思いの向かおうとする希望ある未来の為に、僕は精一杯、もっと音楽をひたむきに愛し歌いたいなと思いました。
そして、その思いは来年へと向かいもう既に走り始めています。
皆さんの胸の中にある大切なその夢に、僕の音楽がどうか上手く寄り添えたらいいなと願っています。
皆さんの人生に沢山の祝福がありますように。
YouTubeは、二〇一七年十二月八日に広島の福山にあるライブハウス“MUSIC FACTORY”さんで行ったフレンチトーストのライブ映像です。
メンバーであるカフェのマスターは本業が忙しい為に出演されてなくて、僕一人でのステージとなりました。
全九曲を無事演奏することが出来ました。
応援してくれた皆様、有難うございました。
二〇一七年は、フレンチトーストのファーストアルバム制作の為に費やして来ました。
アルバム収録予定曲を完成させてライブを始めたという流れでした。
レコーディング予定すら立っていないのですが、今後はこのアルバムを軸にしたステージを続けて行くつもりでいます。
僕らミュージシャンは、生ライブで説得出来なければ生存が難しい面が今は強くなっているということなのかもしれません。
自己満足の為のアマチュアリズムや商業ベースに乗ったロック産業。
そのどちらも何か益々活動を疲弊させてゆくばかりのような気もします。
何故でしょう。
プロアマを問わず、何か在り方の清らかさや清々しさといったものについて、僕は普段よく思いを馳せることがあります。
それぞれのスタンスの中での音楽がある訳なのですが、きっと音楽を愛する思いには違いはないのでしょう。
だけど、そんな思いすらも何か色褪せくすませて来たような悲しさを覚えている僕がいる気がしていました。
音楽がどこか音楽らしくない。
何か別の価値によって支配されているような。
メッセージを純粋に伝えるという行為から、音楽家自体がそのマインドを忘れてしまい、何か別の価値の流れへとさらわれてしまったような気がします。
音楽からメッセージが消え、ただジャンル的な包装紙としての部分だけが時代に儚く浮遊しているかのようです。
僕はそのことが悔しくてなりません。
家畜化されたミュージシャンマインドの実態を目撃していた気がするからです。
そんな社会には、真の希望等あり得ません。
音楽は文化の水準を無言で語ります。
家畜化されたことに意識が向かうことなき音楽の消えた街に僕は生きている。
そこからのスタートが、僕にとっての二〇一八年であるのかもしれない。
今日も訪問してくれてどうも有難う!
良いお年を。
MUSIC FACTORY LIVE
久しぶりのライブ告知です。
昔、レコーディングをさせて頂いたことのあるミュージックファクトリーさんで歌います。
場所は少し離れた所に移り、素敵なステージ環境の整ったライブハウスという印象をSNSで流れている写真から伺っていますが、今回移転後初めての訪問になります。
たまたまいつも行く美容院で働いている方がオーナーのレイさんの知り合いで、ミュージックファクトリーの話になり、昔懐かしいレイさんのお店で歌うという話にまで辿り着きました。
フェイスブックで友達になって頂いたことが、再会のきっかけでした。
今年はフレンチトーストのアルバム制作に力を注ぎ、今回のライブではそのアルバムの曲を沢山演奏しようと思っています。
ソロはロックンロールをやっていますが、フレンチトーストではロック、ポップス、ジャズ等音楽性に違いがあります。
どちらかというと、カフェでまったりくつろいで耳を傾けるような歌といえば合っているように思います。
当日は僕を含めて三組が演奏する予定になっています。
僕も初めての二組で、ライブを楽しみにしています。
時間を作って聴きに行ってみようかと思われる方は、どなたでも歓迎していますのでお気軽に遊びに来て下さい。
二十色のメロディー
この場所に来れば、美味しい御馳走をもらえて優しくしてもらえることを知っていてテンションが上がってる。
御近所を走り回って逃走したり。
犬は嬉しいと笑うから面白い。
尻尾もグルグル旋回する。
心が和み落ち着く。
フラットな気持ちになる。
マスターはかなり犬好きのよう。
色々世話を焼いては笑ってる。
久しぶりに会って、カフェテラスでコーヒーを頂きながら雑談を交わす。
秋の午後の風はまだ暖色の肌触りがする。
時間を巻き戻してマスターが昔話を始める。
建築の話はクリエイティブでどちらかというと肌に合う。
営業的な堅苦しさが苦手な僕。
何かを生み出す人のパーセンテージは圧倒的に低い。
創造的エネルギーに溢れた人は、組織活動には不利になる点がまま見受けられるように思う。
適材適所。
世の中でとっても大切なこと。
肌に合わぬ場所にいるとトラブル続きとなってしまいそうだ。
長所が欠点と見なされてしまう。
資質の活かし方を誤ると社会不適合になって苦しい境遇へと流されてしまうよ。
ビルを千人の人で建てたのだそうで、素人の僕には未知なる世界に想像力の翼を羽ばたかせてみる。
十三階はキリスト教的に数字が不吉な為NGなのだそうで、図面上は十二階の上を十四階という風に書き変えを頼まれたことを回想するマスター。
日本にいると分からない事情に納得の相槌を打って話を聞いていたような気がする。
建築はマスターの本業の話だった。
作り上げて来た建物一つ一つがその人生の足跡のようなものなのだろう。
僕らは殆どの場合、所有者や建設に携わった人を含めて、一体何処の誰がどんな思いで建てた建物かなんて意識もせずに目にしてはその前を通り過ぎてゆくもののような気がする。
人の思いが結実した完成形の創造物を目の当たりにしていたとしても、誰かの夢という名のピュアな思いに心がふと触れる瞬間ってとても貴重なもので、もしかすると非日常と呼ばれるカテゴリーに収められるタイプのものなのかもしれない。
だから夢を応援してくれる人って、本当に大切にしなきゃいけない存在だと気付く。
その夢が大きければ大きい程に、圧倒的に反対されるものだろうから。
それは多くの人にとっての希望にもなりうることについて、まだ多くの人々が知り得る季節にはきっと遠いのだろう。
マスターの昔話に人生を想う。
能力は開花させるまで誰の目にも止まらない。
それは素晴らしい能力だなんて気付く人は少ない。
それでもきっと、長き冬を越えて春には思いっきりの愛で蕾をつけようと人知れず努力を続ける人の姿がある。
決して努力が報われるとも限らぬ人生だけれど。
個人的な夢が多くの人の希望に繋がるといいね。
あなたって本当はそういう風な人だったんだって、誰かがそのピュアの思いに辿り着くまでの距離。
それを人は下積みって呼んでいる。
下積みはたぶん、きっと何かしらの実りとなり春に姿を現すだろう。
胸のど真ん中にあるもの。
愛。
優しさが自然に溢れ出るまで、涙が幾層にも折り重なり堆積した心の不純物を洗い流してゆくよ。
やがては木枯らしが吹き荒ぶ。
冬支度の頃。
カフェテラスに置かれたテーブル席に佇み、iPhoneに入っているまだ真新しい生まれ立てのフレンチトーストのナンバーをかけ、秋風へと解き放った二十色のメロディー。
iPhoneのリズムで
九月下旬へと季節は移ろってゆく。
この頃は長年続いていた生活パターンに大きな変化が訪れていた。
二十一の頃以来の人生の流れのうねりを感じながら過ごす。
生活のリズムがまだ掴めてはいなかった。
ノートパソコンを使ってのデスクワークをする時間も上手く取れていなかった。
その分iPhoneを使用するようになる。
LINEを始める。
縁遠くなってしまっていた姉とのやり取りが生まれ、ふる里への限りなき郷愁を音楽の中に閉じ込めた。
ツイッターでは大きく文体を変えることはなかったような気がする。
だがLINEでは話言葉が重宝することを実感する。
サクッと検索的なリズムが丁度いいということなのだろうか。
LINEは文章言葉を使って心を敢えて着飾らなくてもコミュニケーションが成立し易くて、絵文字を交えれば誤解が生まれ難かった部分があったのだろうか。
何となく少し使ってみて主観を書き残す。
これらの全てがスティーブ・ジョブズからの影響だった。
iPhone的な端末のリズムが僕の日常を刻み始めていた。
小さな端末の窓の中には世界の一面が集約され、心の描写の手法も変化し続けてゆくよ。