痩せたステージの小さな微笑み

 暖色に染まる賑やかな人々の話声とグラスの音や物音の飽和した田舎町の小さなライブハウス。
 人々の心のモラルの崩壊した時代に無名ミュージシャンである俺の、名もない暮らしの物語が、その日転がっていた。





 ステージの椅子に腰かけ歌う俺は、それでも歌うことの出来る今日の喜びを握りしめ、自分勝手に並べられた・その場に集う人々のそれぞれの事情に思いを馳せながら、思うようにならない肉声と向き合い格闘していたんだ。
 声の使い過ぎで、自分で思ったよりも疲労を滲ませていた喉が倍音を出してくれない。
 ステージの演奏と並行して進行する客達の嫌味なき雑談の発生は、確かに俺を少しばかりステージに一人取り残された気分にさせていたけれど、昔みたいに、突発的に赤く怒りの色へと傾いていく思考に捉われることはなく、その姿の本当に示すことの意味を俺に考えさせてくれる、大切な時間を生み出そうとしていた様に思う。

 シュールにROCK決め込んで〜♪

 日本社会に向けたロックンロールをシャウトしていた俺のステージを、客は雑談を交えながらも、それぞれに楽しんでいたのだと思う。
 駄目なステージが駄目だとも言い切れない真実が、俺を静かに一人覗き込んでいる様なステージだった。
 俺の愛の言葉は、一時の慰めくらいにはなりうる代物だったのだろう。

 心が酷く渇いちまって、誰もかれも他人の気持ちを敬い、思いはかるなんて余裕はどこにも持ち合わせてはいなかった。
 力を発揮し切れぬステージに転がった俺の心は、それでも気候に影響されるばかりとも限らぬ人の心の様に、何となく幸せでもあり、何となく客の不躾な態度に嫌気がさしている様でもあって、こんな風だったと型にはめて語ることは不可能なことの様だった。

 自分、自分、自分…。

 人の心はとても我がままで、そしてか弱く儚過ぎて、だから愛しいものでもある。
 俺は自分の我がままを許すように、また人の我がままも許し受け入れたいと願っていた。
 一曲歌い終われば、それなりに音楽に心をハイに震わせた客が、一斉に拍手を俺に送ってきた。
 マスターは馴染みの客の不健康そうな心のケアを務めることにとても忙しそうだった。
 日常の憂鬱を和らげる為に、一体俺達はどれだけの約束とそして裏切りの物語を繰り返せば、丸裸の真心の温もりに触れる幸せを信じられる日が来るのだろうか。

裏も表も包み隠さず、気取らぬ心の姿勢のままで、真心を歌に込め歌い続けていたい。

 俺は、その夜もステージで一人そんな風に音楽への愛情を抱きしめていた様な気がする。
 愛のない社会への批判は、やはりただのちっぽけな憎しみでしかないのだろうなって思うんだ。
 痩せっぽちな気持ちが、ただ不安に駆られて、苛立っているだけなのだろうってね。
 平和を生み出す為に、その憎しみの心を、俺達は一歩先に進めて次の段階に到達しなければならないんだ。
 フラストレーションが招く自己の混乱を回避し、己の精神と肉体、そして社会を調和へと導く為に。
 感謝の心に触れたいならば、傷ついてしまった心が生んだ扉を静かに開き、自分自身に愛情といたわりを持って辛抱強く、俺達は日々の困難に立ち向かってゆかなければならない。
 感謝は、幸福へと導く謙虚で強い心の健康な生命活動のリズムの様なものだ。

 そのことを記して、君に心を打ち明け、共に情熱を分かち合いたかった物語の横顔を描いたこの話を締めくくりたいと思う。
 痩せたステージの小さな微笑みを一輪の花と共に。