静寂の夜明け

 「そんなに熱くなって歌ってもな。歌でも何でも冷めてるくらいがちょうどいいよ」
 小さなライブハウスの片隅の席に座っていた俺に、笑いながら酒をあおった顔馴染みの中年男がそっとそう話し掛けてきた。
 あんたの泣きたい気持ちも分かるけどよ、俺はそんな根性の入らない泣き言なんて聞きたかねえのよ。
 何度転んだって人生の崖から這い上がり、愛すべき人々や若い連中の為に、愛や夢を生き様を持って語る大人の意地ってものが、本当にこの国の人間の心から消えてなくなっちまったね。
 俺は中年男の顔を覗き込みながら、俺にとって何とも受け容れようのないその言葉に対して、引きつった笑みを何とか浮かべたまま、そんな風に思いを巡らせていた。
 中年男はきっと夢を真っ直ぐに夢とそのままの名で呼び、語ることの出来ない様な人生の挫折を背負っていたのだろう。
 だけど、そんな泣き言聞いて納得してみたところで、一切この国の未来も人々の暮らしや人生というものは前向きに良く変わってはいかないだろうと俺は思った。
 愛や夢をなくした歌が、情熱の炎を絶やしたその歌が、一体どれほど人の心を打ち、時の流れという鑑賞に耐えられるというのか。
 俺は絶望した人間の心に、一体何を歌えるだろうか。
 人々はそれぞれの人生体験から、口々に自分の得た信念を語りたがる生きものだろう。
 その訳は、誰もが他人から自分の心の傷の痛みを理解されたいと願い、愛や夢を表面的には拒み強く否定しながらも、本当はその存在を今も心の中で認め信じたいと痛切に願っているからに他ならない。
 多くの人々は、約束された幸福を求めたがっていたけれど、成功なんてそんな甘っちょろいものなどではなかったに違いない。
 歌が力を失い、痩せ衰え、真実を語ることが出来なくなったかの様な閉塞した時代が、長きに渡り続いていた。
 あんた、酒をあおってぐだぐだ泣き言を俺に言っている暇があったら、顔を洗って背筋を正し、出直して来い!
 俺は、その中年男の情けない姿を見て、気が付けば心の中でそう痛烈に批判する言葉を放っていた。
 
 誰もが愛や夢に尻込みし、理想にケチをつけ笑うような、崇高な意思というものが衰退した、こんな腐っちまった時代に、今後俺は、その訳を歌の力で説得し、再び真実と愛の力で心の中に神の存在を信じ抜くような気高い気持ちを甦らせたいって、改めてその時そう強く思ったんだ。
 何か人と違ったことをやらかせば、常に批判の絶えることなき矛盾した悲しみの世界。
 俺はロックンロールを武器に、次の一歩をどう踏み出すか意識を一人集中し、その夜一睡もせず、朝が来るまで考え続けていた。
 一歩間違えれば、俺の命は時代の風に煽られ抹殺されるだろうとそう感じていたから。
 
 ロックンロールで時代を変えるなんて出来っこないと、社会がそう白けた顔を愛や夢に向けるばかりの日々が続いていた。

 なあ、神様どうすりゃいいかい。

 俺の祈りはまだビートに乗って世界に解き放たれる前の、静寂の夜明けの物語がそこに転がっていた。

 泣き言なんかもういらない。
 だってそうだろ。
 俺達に本当に必要なものは、そんなものじゃないって、皆心の深い部分では分かっていた筈さ。
 だけど、その場所から前を向いて一歩踏み出す勇気がなかっただけなのだろう。
 俺が時代や社会を呪うように、また多くの人々が俺の魂のメッセージに戸惑いを覚えたり、拒絶する気持ちになるのも、きっと真実の表裏一体である姿だったのだと思う。

 こんな事、エルヴィス・プレスリービートルズが登場した時代から、今でも世代間に横たわる軋轢というものの姿に、そんなに基本的には変わりがなかったということだろう。
 一つの時代の変革の波が、人類の意識に押し寄せた時、その基本原理は今も健在に機能し働いているという訳だ。
 そして俺は、まず愛や夢に絶望し、情熱のリズムに嫌悪する人々を批判する自分自身のありのままの姿を許し、受け容れることから、真剣にまっすぐ、愛することを始めたいと思った。
 それは、自分自身を愛せぬ人間が、一体どんな風に心の中に愛を形作るのかという基本的な愛への問い掛けを持っていたからだ。
 そして、誰かに植え付けられ信じた間違った道徳心などで自分を裁いてしまわないで、ありのままに受け入れ愛することから、人類が続けている、狂ってしまった悲しい争いという悪循環の鎖を断ち切りたいと強くそう願っていたんだ。
 そして、自分自身への尊敬の念は、静かな愛と情熱の炎となって、もういらなくなった人類が手放すべき、一つ一つの観念を意識の中から焼き払い、浄化してゆくことだろう。

 きっとその時、それぞれの世代の背負ったカルマへの深い理解と思いやりは生まれ、他者を心の中に受け入れ、愛することが出来るようになるだろう。
 俺はそんな風に考えていた。





 暫くおどけた様子で、その場に居合わせた客達との会話を楽しみ、憂鬱な日常から逃避を続けていたであろうその中年男は、やがてライブハウスの扉を出て、ふらりと夜更けの街に溶け込み静かに姿を消した。
 それから、いつものように俺のステージは始まり、本調子とはほど遠いコンディションに、自分の歌と俺は心の中で何とか折り合いをつけながら、希望が朝日に輝くようにと心を込め歌い続けた。
 
 なあ皆、幸せになりたくはないかい。
 心のままに自由になり、本当の自分の人生を取り戻し、本気になって熱く生きてみたくはないかい。

 俺は、夜の闇の中で、次の答えを撃ち抜こうと魂の鼓動に耳を澄まし、情熱のビートを明日に向かって激しく奏で始めていた。
 
 人生の困難から目を背け決して逃げないで、勇気を持ち熱く立ち向かおうっていう人間はいないかい。
 俺と共に真実に向かい、真剣勝負で人生の困難に立ち向かおうぜ!
 俺の信念や情熱を否定し、朝日に包まれ始めた街の片隅でまだ眠っていたであろう、脅えた人々の魂も、やはり本当はそんなこと望んで信じようとしていた訳ではなかったのだろう。
 そうさ。そこには夢を夢とまっすぐな気持ちで呼べなくなった大人達の人生に背負った深い悲しみのドラマが眠っていたんだ。
 それを思えば,あんたも俺も何となくどこか似たもの同士じゃないかって、やっぱり俺はそう思った。
 どちらにしたって、誰にとっても人生はたった一度きりさ。
 互いにあす生きてる保証だって何もない人生の旅で、何をどう選択し生きようが、結局それは自分の人生でしかない。
 ああ、本当に痛みを分け合い互いの心を信じ合えたならば、裏も表もないありのままの心で向き合い、抱きしめ合うことが出来るだろうに。


 そして、夢を生きるってことの意味について俺の信念を最後に君に伝えておきたい。

 物質的に成功することの価値は勿論計り知れないだろう。
 だが物質的に成功することが全てであると信じるならば、人々は皆挫折し、いつか必ず人生の中で敗北を余儀なくされるだろう。
 それは、物質世界の中で成功し続けることは絶対に不自然で無理なことだからだ。
 だから、そんな風に物質的成功を追い求めるならば、やがて愛や夢などを信じ理想を語る行為は馬鹿げた青臭い人間の取る行為となるに違いないだろう。
 俺の信じる夢とはそれが叶うか叶わないということに真の価値を置くのではなく、人間が在るべき姿で生きようと足掻き、葛藤しながら見るであろう、その生きる姿勢を崩さぬ精神を持ち続けることへの憧れのことを指しているんだ。
 その生き様こそがロマンと呼べるものだといつまでも信じている。
 だから本当は、夢が破れるなんてことはないのだろうって気がするんだ。
 俺の追い求めている夢とはそういった性質のものなんだ。
 だから本当の意味では、愛や夢はまさに永遠であると言えるのだと思う。


 誰にとってもより良き未来を。
 俺は心の中でそう祈りの言葉を呟くと、カーテンの隙間から射し込む、徐々に強さを増す朝の光に、一日の始まりの祝福を受けた。