路上のQUESTION

 相容れない日常のざわめきに押され、僕はこの身にバリアを張り、世界から離脱していく。
 きめ細やかなバランスを保つ一つの言葉にも、僕は無防備に微笑むことが出来ず、人の善意を善意と素直に呼び、受け取ることをためらってしまう。

 これは愛なのか
 愛と呼んでいいのだろうか


 僕にとって、愛を信じるということは、一歩間違えればこの命を失い兼ねないということだと思っている。
 温かな人情ドラマは、勿論それはそれで素晴らしい。
 だが僕は、それを全てYESと肯定することに強いためらいを覚える。
 誰が誰を愛していて、誰がいけないといった人間関係のしがらみが、僕の心や世界を天秤にかけ、欲望と愛とのバランスを測り続けているみたいだ。

 愛と欲望とを人間の心の中で分離させることは不自然だろう。
 だけど、僕は信じられる何かを探し生きている。
 この命を捧げても惜しくはないと思える何かを。


 街は愛や金や欲望に彩られ、夜な夜な妙な熱にうなされた様に燃え上がり吠えている。
 人は誰も、心満たされる場所を求め、この世をいつまでも彷徨い続ける。期待しては裏切られ、奪われては憎しみながら、人はやがて真実を掴み取る。真理を見つけた者は、自分の感受性の優しい囁きの導きに、人生の道を与えられてゆく。

 日常のざわめきは止むことはない。
 人がこの世に生き続ける限り。


 ほら、僕らは路上を歩けばまた何かにぶつかり、欲望と愛とをそれぞれの心に見つけ出すよ。
 そして、それは人間の心を透明に変えてゆく問い掛けとなる。
 街中に転がる路上のQuestionが、壊れた心の、かけらの一つ一つを照らし出しているんだ。