桜ひとひら
桜ひとひら
二〇一五年四月四日 土曜日
ステージに立ち歌う僕の背後には、美しい桜が咲きほころんでいた。
国道二号線沿いにある福祉施設内のレストランでの、桜祭りのステージに僕は立っていた。
何故だろう。
僕は、不意に泣き出してしまいそうな不安定な気持ちになる。
ステージのオープニングを飾った曲、永遠の九条の十六ビートを感じながら、ギブソンJ-45をジャリジャリとかき鳴らす。
最初のMCで、客席に語り掛けた。
桜の散り際の儚さって、まるで第二次世界大戦で太平洋へと若き命を散らせていった、たくさんの少年兵達みたいだって。
そして、彼らは今、既に満開に見える桜の花となり、祖国に戻って来た。
僕は、永遠の九条の歌詞にそんな思いを重ねて、午後のひと時を共に過ごそうとしてくれていた見知らぬ人々に向かい歌った。
ステージに立ったら、僕に味方なんていなかった。
それが、ステージに生きる人間を襲う残酷さのような気がしていた。
勿論、サポートしてくれるミュージシャンや関係者の温もりはあるけれど、だけど基本的な音をまず立ち上げるのは、当然、僕でしかなかった。
僕は、本当はこの体が震えるほど怒っていたのかもしれない。
この国の現実社会に対して。
だけど、その感情を幾らストレートに表現してみた所で、きっといつまで経っても、誰の心にも思いは届いては行かなかったのだろう。
だから、素晴らしい歌を作り、歌うしか希望がないように感じていた気がする。
現代に秩序はない。
客は、ある意味正直であり、そして常に露骨なものの気がしていた。
僕は、ミュージシャンとして、一本一本のステージに調和と秩序を完成させなくてはならなかった。
それが、ミュージシャンという人生に於ける獣道の掟だった。
街ではいつも、人の心の本音にぶつかることがなくて、誠実さが欲しかったんだ。
僕は、そう感じていた。
そして、それを求めるならば、自分の中に最上級の優しさへと繋がる感受性を育みながら、純度の高いロックを生み出し、奏で歌っていくしかないと思った。
さて。
今年は、いい意味でも悪い意味でも、色んな意味で大変な年になるだろうって、思っていたんだ。
折角の桜の木をバックに、最高の演出で歌えるステージだ。
そして、今年の今というタイミングを、僕はどうしても逃したくないと思った。
僕の言葉は今、客席に少しずつ届き始めている気がしていた。
それは、正直な感想だった。
時代とのガチンコバトルには持って来いの頃。
僕が闘っていたのは、時代だった。
本当は、もしかすると皆、自分の気持ちすら分からぬままだったのかもしれない。
だから、バイアスを破り、フラットな精神状態へと導く命の音が必要だった。
ラジオから流れる歌に、本当のことを聴かせて欲しかった。
政治は、搾取ばかりをして、カスカスになった庶民の懐という現実から、次は自分達が疲弊していく番だという事実について考え、感じて欲しかった。
誰もが不幸せになってゆく心と生活の疲弊なんて、ちっとも魅力的ではないだろう。
社会の底辺が枯れれば、富裕層もじきに貧しく枯れてゆく。
そんなことは、経済学者ではない僕にだってすぐに分かる、当たり前のことだった。
客席は、まだマバラなままだった。
レストラン内には、桜祭りへと出向いたであろう人々が、流動的に行き交い、空気は日常の荒い波動を帯びていた。
空間は、波打つ海のようで、それを静寂の湖にしていかなければ、敗北必至なのがライブだった。
ミュージシャンは、自分の出す音霊の力で場を清めなくてはならなかった。
僕が、ライブの進行を客観視し始めたのは、永遠の九条のエンディングが消え掛けるのと入れ替わりにもらった、寂しげな拍手の音を聞いた時のことだった。
僕は、リハなしのぶっつけ本番のステージに望んでいた。
PAを担当してくれていたのは、最近お世話になっていたラジオパーソナリティーの仕事をしたり、自身もドラマ―である男性だった。
彼は、その道のプロなので、二曲も演奏すれば、すっかり音響が整い、客席の反応が一変したようだった。
二曲目は、きららカフェのマスターとのユニット名をそのままタイトルにした、ズバリ、フレンチトーストだった。
この曲と三曲目は、ワンコーラスのみの演奏にして、三十分間の短いステージにバラエティー感覚をトッピングする為、駆け足でのコーナーにした。
フレンチトーストの演奏が終わると、まだ相変わらず客席から返って来る寂しい拍手に、今日のステージはどうなることかと、雲行きは、依然怪しいままだった。
三曲目は、HAPPY BIRTHDAYを歌った。
たまたま、この日は母の誕生日だったから、母の為にと祈りを込めた。
ボーカルのマイク乗りがここから断然良くなって来たようで、演奏が終わると、さっきまでの寂しい拍手の音色が暖色に色付き始めていた。
Happy Birthday to My Motherと歌い終えると、PAの彼がノリ乗りの声を挙げ、ステージを盛り上げてくれているのが、とても印象的に心に残った。
四曲目。
さらば資本主義。
ここの所のテーマソングを歌う。
いつの間にか会場はたくさんの人で埋まり、フレンチトーストのステージに注目してくれていることを実感することが出来た。
客席はかなり静寂に包まれていて、心の中で、よし、これで何とかライブが軌道に乗ったなと、かなり安堵した。
僕のメッセージを感じ、拍手を送ってくれていることを実感出来る雰囲気を感じていた。
マスターとは、すっかり息も合っていて、僕の出すトーンやパッションに臨機応変な演奏を聴かせてくれていた。
五曲目は、最新曲である氷河を演奏した。
ライブは成功の部類になったと思える、客席との距離感が生まれていたと思う。
歌い終わった時、客席が僕の方にワッと迫って来る感覚を覚えた。
静かな熱気を感じたんだ。
レストランは、すっかりライブ会場としての体裁を整え、僕は自分の今日のライブに納得することが出来た。
ラストソングである六曲目は、僕がずっと大切に歌って来ていたモンシロチョウを歌った。
この曲に入る前、マスターがこの曲は一人でと声を掛けて来た。
僕一人の弾き語りで締めたステージとなる。
フレンチトーストとしての僕のステージは、こうして終わって行った。
フレンチトーストは、僕のバンド経験史上、既に最も長く続けることが出来ていた。
もうすぐ、結成一周年を迎えようとしていた。
これも、マスターやママさんの人間性が純粋で素敵だったからだと思う。
二〇一五年の桜祭りは、なかなか盛大なものとなり、結構な観客の前での本格的なステージに立たせてもらうこととなっていた。
今回のライブには、明王台ミュージックファミリーのメンバーが集っていた。
PAや司会も務めてくれていた彼が、地元やインディーズシーンを盛り上げようと企画し始まったのだけど、僕も縁あって仲間に加えてもらえていた。
これも、カフェを行き付けにしていたPAの彼との仲介役を果たしてくれていた、きららカフェあってのラッキーだった。
神戸からやって来てくれたミュージシャンあり、上京中のミュージシャンの帰郷ライブあり、フルート演奏やPAの彼と息子さんとのツインドラムを聴かせてくれるコーナーありの、盛り沢山のイベントとして桜祭りは無事終了することが出来た。
イベントのラストに、翼をくださいを会場であるレストランに集った客席の人達と、ステージに集った出演者達とで大合唱という、福々しいフィナーレもあった。
そういえば、ライブが近付いて来ている頃に、週間天気予報では高い降水確率になっていて、雨を心配していた。
カフェに顔を出した時、その話しをするとマスターが晴れやかな顔で言ったことを印象深く思い出す。
自分は晴れ男なんで、たぶん大丈夫ですっていうようなことを話して聞かせてくれていた。
ゴルフへ行った時でも、雨がさっと上がるのが、どうやら普通のことの様子だった。
マスターと出会って、この夏で二年になるけれど、確かにマスターには雨よりも青空が似合う。
そう思った。
僕は、マスターの話しっぷりを聞いて、これはたぶん大丈夫だと思った。
ライブは、元々野外ステージになる予定だった。
きっと、マスターが言うように雨は大丈夫な気がしたけれど、レストランが素敵で、おまけに室内だと音響がいい。
カフェにPA担当の彼も顔を出していたその日、いっそ室内にという話になっていた。
僕は、レストランでのライブは、きっと成功だったと思う。
まず、スピーカーの音が良くて、ミュージシャンにとっては生命線になる話だった。
マスターは、事前に場所を視察して来ていた。
だから、ガラス張りの素敵なレストランでの音響のいいライブの方がいいと思ったようで、僕もマスターと同じように思っていた。
カフェに隣接し佇む設計事務所。
本業の血を騒がせるように、きっとマスターは建築家の顔でレストランを眺め、楽しんでいたのだろうなと、カフェで視察の時のことを話すマスターの姿を、僕は微笑ましい気持ちで見ていた。
ライブを終え、黄昏時に街を散歩していると、ふと空の雲行きがまた怪しくなり掛けていることに気付いた。
ついさっきまで、陽射しが降り注ぐ爽やかな天気だった空は、あっという間にその表情を変えていった。
僕は、後から思った。
天気もフレンチトーストのライブも、曇りから晴れ渡り、そしてまた次の晴れを待つように、僕は音楽畑を耕し、自然や季節からの試練を乗り越えながら、ミュージシャンである以前に、人間としての成長の機会を与えられているのだろうと。
桜の咲きほころぶ季節。
祖国に舞い戻って来てくれた少年兵達の魂へと、僕は心の中で語り掛ける。
彼らの尊い命の犠牲の上に築き上げた、この原発利権の資本主義の国は、今どこに向かおうとしていたのだろう。
あの桜の花のひとひらになりて、君達の想いが、どうか報われて欲しい。
九条よ。
街は、皆既月食の夜に、徐々に包まれようとしていた。