PIT IN




   PIT IN


 僕は、過ぎゆく春の日々を費やし、新作アルバムに用意したメロディーにコードを着せ、言葉を乗せていた。



 この春のとても爽やかな輝きを何と例えれば、その美しさ、しなやかさ、調和、穏やかさ、温かさといったものに相応しいのだろう。


 言葉は、僕の感受性の中で結実していくよ。
 未完成で欠点だらけの人間をやっている僕の、愚かさや怠惰さなんかにも、当然のように影響を受けるであろうことを含めての話だよ。
 もしかすると、優しさみたいな美しさにさえ、何か手が届くことだってあるのかもしれない。
 人として自分なりに、その難しさと尊さを獲得すべく毎日を生きようとしている僕にとって、それは、表現の自由さというものがこの人生に与えてくれた、掛け替えなき救いだった。
 そして、それらの性質を難しいと思い込んでいるのも、また僕のリアリティーだったのだろう。


 人は、人生の中での闇に立ち向かう時、闇の深さや悲しみの分だけ、きっと希望の光の眩しさを欲し、必要とするのだろう。
 かれこれ十八曲、新しいアルバムの為の曲を作っていた頃のこと。
 取り敢えず、作った曲を身近な人に聴いてみてもらった。
 ICレコーダーにギター一本で吹き込んだデモを聴かせると、こんな言葉が返って来た。
 ヒット曲を作りなさい!


 その言葉をもらってから、僕は当分その言葉の意味について、深く考え過ごした。
 いい曲を作るという僕の絶対条件があるけれど、もっと具体的な響きで、言葉が体中に共鳴するような覚醒が起こった気がした。
 簡潔に言うと、そんな体験をしたのだと思う。


 なるほど。
 そういうことだったのかもしれないと僕は思った。
 その感覚を得たことにより、僕はそれまでに作り上げて来ていた曲の大半をボツにすることにした。
 それで、もっと違った何かピンと来るような曲を新たに作り直し始めたんだ。
 本当に曲自体に、まず力があること。
 その当たり前のようなことに対して、ヒット曲というキーワードが、僕の本能を刺激した気がする。
 物事の全ては、この体を通して体感することでしか悟りの道など、誰にも開かれよう筈もない。
 僕は、本当にいい曲というものが、一体どんなフィーリングで宇宙に存在しているのかについて、きっと以前よりも少し理解を深められた部分があったのかもしれない。
 例えば、百曲あるいい曲と感じられるような曲の中にある一曲だけが、僕が本当に欲している代物なのだろう。
 心の壁を乗り越えていく為には、僕にはどうしてもそんな一曲が必要だと思い、創作に明け暮れ、情熱と汗に費やして来た気がする。
 そして、限られた人生の中で、もっと貪欲に優れた曲を作りたいという意欲が増していくように、今回の意識の変化の訪れを感じていた。
 本当に誰かに何かが伝わり、何かを生み出していく原動力として音楽が働かなければならないと強く感じていた。
 そして、僕はそんな希望の光となりうる音楽を心底欲する必然性を、運命の中に背負っていた気がしていた。
 僕は、それくらい、救い難いほど悲しい人間だったのかもしれない。
 輪廻する生涯の中で、悲しみばかりを拾い集めては、深き闇から這い上がれもしないで、足掻き続けていたのが、僕だったのだろうか。


 人が今日一日を生き延びようと、必死に足掻いている時。
 闇に光を見るまでは、何だか永遠に辿り着けないような、輪廻転生の中での掟がある気がしていた。
 僕は、自分の抱えていた悲しみを乗り越え、今日を生き長らえる為に、人生の闇に光あれと音符を刻み込み生きた。
 それが僕にとっての真実だった。


 そして、僕は愚かに人を傷つけて来た気がする。
 だから、僕はこの世界を音楽の光で包み込み、癒していかなくちゃって思っている。
 この悲しみの世界には、本当にたくさんの救われるべき人がいて、そして僕自身もまた、救われるべき課題を抱えていたということなのかなと考え生きて来た。



 僕は、自分の生み出した音楽の光に並ぶ輝きや、何かその清らかさに、本当に手の届く存在なのだろうか。
 僕は、音楽という名の鏡を覗き込んでは、自己否定の嵐を打ち消そうとしているかのように思えていた。
 僕は、一体何者なんだ。
 それが、曲作りに対する欲求の核だった。
 この世に生まれ落ちて以来、僕が僕である理由として周囲や環境から与えられ、育んで来た僕というイメージ。
 そして、もっと本質的自己のパーソナリティーという魂の実像のようなものとの解離というアンバランスさが、自分の存在する意味を分からなくさせてしまっていたということだったのだろう。
 だから、僕は自分で作った音楽という名の鏡を幾度となく覗き込み、自分の存在を確かめずにはいられず、魂の抱えた根源的欲求を満たしてやる必要があった。
 そして、それは紛れもなく、この社会に生きる多くの人が同時に抱えていた悲しみでもあった気がしていた。
 僕の抱えて来た葛藤の中に、この社会の抱えた相似形の葛藤が存在していたのだろう。
 だって、僕はこの社会によって育まれたのだから。
 僕は、僕を愛することと比例した情熱を、この社会に対して感じていた。
 そして、自分を嫌うことにも比例するように、この社会を拒絶し、とても多くの葛藤と苦しみを抱え込み、孤独に一人悩み続けて来たのだろう。



 僕は、心のアクセルを目一杯に吹かし、徐々に狭くなってゆく未来という名のスクリーンに浮かび上がる直線道路を見つめ、視界の先を睨んだ。
 ピット内に一人佇むF1レーサーが、きっとそうであるように、希望と不安がギストノイズに震えるような感動と情熱を、僕は胸の奥深くに抱えていた。


 時代という名のサーキットは、異常なほどの回転数を上げ唸るレーシングマシンのエンジンの熱狂に、世界の限界点を破った先に広がっていたであろう未来へと到達する夢を叶える為に、次元の扉の接合点を突破せよと、まるでけし掛けているかのように感じていた。